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青蓮院

青蓮院

由来と歴史

枝を四方に伸ばした楠の巨木が門前の石垣の上に樹っている。
知恩院の北門に向かうゆるやかな坂道の途中に、名著「愚管抄」を書き、歌人としても「拾玉集」で有名な慈円が門主を勤めた青蓮院がある。親鸞は九歳のとき、ここで慈円について得度した。慈円は法然、親鸞を庇護し、布教を助けたという。
知恩院は法然滅後に青蓮院内の一房が別立したものであり、本願寺も院内大谷の地に親鸞の墓所を営まれたのが始まりという。
青蓮院は、比叡山東塔南谷の「青蓮坊」が始まりで、仁平三年(一一五三年)、鳥羽法皇によって藤原師実の子・行玄の都の住坊としてこの地に移された。  明治になるまでおよそ七三〇年の間に四八代の天台座主を出し、粟田御所とも青蓮院宮とも呼ばれた。

青蓮院

見所

青蓮院の庭園は相阿彌作と伝えられ、室町時代の様式を残した名園として知られている。宸殿から眺める庭の風情はそのまま絵になるような美しさである。初春を告げる万両や、春雨にぬれて鮮やかさを増す千両、宸殿の庭先に咲く紅梅の鮮やかさ、大日堂の枝垂桜や染井吉野の可憐な姿。
春の主役が終わりを告げる頃、苔むした樹木の根元に散った桜や椿が愛おしさを伝えてくれる。満開のツツジが小堀遠州作と伝える庭で新緑との鮮やかなコントラストを見せる。秋の紅葉は庭を染め上げ、冬には竹林を雪が化粧するのである。

青蓮院は季節の変化を楽しませてくれる。
青蓮院に立ち寄ったら「絹本着色不動明王二童子画像(国宝)」を是非拝観して欲しい。俗に「青不動」と称され、滋賀県大津市の園城寺の「黄不動」、高野山明王院の「赤不動」と並んで天下の三不動と言われている。
また青蓮院は書道でも有名で、伏見天皇の皇子尊円法親王が天台座主となってから書道「御家流」を開いた。

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