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清水寺

清水寺

由来と歴史

音羽山清水寺は、1200余年前、すなわち奈良時代の末、宝亀9年(778)の開創になります。 奈良子島寺の延鎮上人が「木津川の北流に清泉を求めてゆけ」との霊夢をうけ、松は緑に、白雲が帯のようにたなびく音羽山麓の滝のほとりにたどり着き、草庵をむすんで永年練行中の行叡居士より観世音菩薩の威神力を祈りこめた霊木を授けられ、千手観音像を彫作して居士の旧庵にまつったのが、清水寺のおこりであります。
その翌々年、坂上田村麻呂公が、高子妻室の安産のためにと鹿を求めて上山し、清水の源をたずねて延鎮上人に会い、殺生の非を諭され、鹿を弔うて下山し、妻室に上人の説かれたところの清滝の霊験、観世音菩薩の功徳を語り、共に深く観世音に帰依して仏殿を寄進し、ご本尊に十一面千手観音を安置したのであります。 その後、上人は坂上公を助け、協力して更に地蔵尊と毘沙門天とを造像してご本尊の両脇士とし、本堂を広く造りかえました。 音羽の滝は、清水滾々と数千万年来、音羽の山中より湧出する清泉で、金色水とも延命水ともよばれ、わが国十大名水の筆頭にあげられる。ここより「清水寺」の名がおこったわけであります。

清水寺

見所

本堂と舞台は、江戸時代初期のもので、国宝となっています。 優美な起り反り(むくりそり)曲線を見せる寄棟造り、桧皮葺きの屋根や軒下の蔀戸など、平安時代の宮殿、貴族の邸宅の面影を伝え、四囲の音羽山の翠緑と見事に調和しています。
「清水の舞台から飛ぶ…」の諺(ことわざ)があるりますが、舞楽などを奉納する正真正銘の「舞台」で、両袖の翼廊は楽舎です。舞台からの眺望は、絶景です。
仁王門は、室町時代に建てられており、重要文化財に指定されています。
清水寺の正門で、応仁の乱後、15世紀末に再建され、平成15年(2003)解体修理がされています。三間一戸、正面約10メートル、側面約4.8メートル、軒高8.5メートルの、室町時代の特徴を示す堂々たる楼門です。
鐘楼も、江戸時代初期のもので、同じく重要文化財に指定されています。
西門も江戸時代初期のもので、重要文化財に指定されています。正面に向拝をつけ、木階に高欄を設けて一見拝殿風に作り、背面には軒唐破風(のきからはふ)を架ける大層珍しい形式と言われています。持国天・増長天を安置しています。
三重塔は、日本最大級の三重塔で高さ31メートル弱の高さを誇ります。
昭和62年(1987)解体修理、総丹塗りと共に桃山様式を示す各重横木の極彩色文様を復元しています。三重塔も江戸時代初期のもので重要文化財に指定されています。
この他にも、経堂、田村堂(開山堂)、轟門、朝倉堂、釈迦堂、阿弥陀堂、奥の院、子安塔、北総門、春日社など、数々の重要文化財をご覧いただけます。

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